こんにちは。タビジウニです。
なかなかパンチのあるタイトルでごめんなさい笑
今回は私の思春期(反抗期)に関するお話です。
まずはじめに、既に家族とは和解しております。そのため誹謗中傷等はお控えください。
私にとって家族はかけがえのない宝物です。
また、この記事では一部、障がい者に対する差別的発言があります。閲覧にはご注意ください。
その上で、障がいのある人とその家族がどんなことで苦しむのか、あくまで一例として体験談を記事にします。
反抗期のはじまり
私の反抗期はそれはもう酷いものでした。
今家族と円満な関係でいられることが不思議なくらいです。
周囲に反抗し、心を閉ざすようになったのは小学5~6年生の頃だったと思います。
思春期を迎え、体は変わるのに、身長が伸びないまま大人になっていく怖さ。
周りの同級生との「違い」を強く感じるようになっていく学校での生活。
常に頑張り屋さんでいなければ、「障がいに甘えている」「障がい者だからしょうがない」と言われる苦しさ。
そして何より「自分は一生普通の人になれない」という現実に対するやり場の無い怒りで苦しむようになりました。
心を閉ざすようになった
小学5年生の頃になると、成長に合わせて半年に1度脊椎の手術を行うようになりました。
これにより、学校に行ける日が途端に少なくなっていました。
(検査入院、手術の間の入院、術後の安静期間、定期的な経過観察のための通院など)
- 数か月ぶりに学校に行くと自分の居ない間に様々な変化がある教室
- やっと学校へ気軽に通えるようになった途端、手術の日々に逆戻り
- そしてまた教室で居心地の悪さを感じる。
- 勉強にもついていけなくなり、学校の友達の話にもついていけない。
どうしても子供は「学校=自分の知っている世界の全て」になりがちだと言われますが、まさしくその通りでした。
徐々に自分の不安を素直に話せる友人も減り、「自分は今後どうなってしまうのだろう」そんな漠然とした不安を抱えたまま、ただ時間だけが流れていきました。
「みんなと違う」それだけで、とんでもなく自分が人生を踏み外してしまったような、追い詰められていくような感覚でした。
そんな中、「大丈夫!いつかまたみんなと一緒に学校に通えるよ」「君はいつも一生懸命で努力家だね」そんな言葉をかけられます。
しかし、まだ自分の障がいを受け入れきれず、心にも余裕のなかった私は、「当たり前に普通の生活を送れる健常者にはこの苦しさは分からない」と、むしろそれらの言葉で徐々に心を閉ざすようになりました。
我慢と限界
そんな入退院を繰り返す日々が2~3年程続きました。
それでも、どうにか「普通の人の人生」を歩みたくて、しがみつくように毎日必死に生きていました。
そんなある日、仲の良かった友人からかけられたある言葉で、それまで我慢していたものが一気に爆発してしまいます。
中学2年生のある暑い夏の日でした。
その日の体育の授業は長距離走で、見学していた私に友人がこう声を掛けました。
「長距離ほんとしんどすぎ。君は良いよね~。長距離走らなくて良くて。」
もちろん、別にその子に悪気があったわけではありません。むしろ本音で羨ましがっていたのだと思います。
でも私はその瞬間にすべてが壊れてしまいました。
あぁ、どうしてこんなことを言われなきゃいけないんだ、と。
好きで見学しているわけではない。
本当はみんなと同じに授業を受けて、部活をしたい。
普通に学校に通って、大会で勝てるように部活を頑張って、休みには先生にばれないように友達とカラオケに行って…。そんな普通の日常をただ過ごしたいだけなのに。
この友人の一言をきっかけに、それまで心の中に押し込んでいたありとあらゆる苦しみが一気に溢れてしまいました。
そしてこの怒りを徐々に家族にぶつけるようになります。
「どうして障がい者に産んだんだ」
そんなこんなで、心は塞ぎこみ、いつしか問題行動を繰り返すようになりました。
家族への過度な暴言、家出、不登校まがいの長期の仮病……。 それはもう酷いものでした。
親にしっかりしなさい!と叱られるたびに強く反抗をしました。
どうせ私の気持ちはわからない、と。
そしてある時、絶対に口にしてはいけない言葉を母にかけてしまいます。
「どうして障がい者に産んだんだ!どうして自分だけがこんな目に遭わなければいけないんだ!健常者のお母さんには分からない!」
そして、この言葉に対する母の返事が、タイトルの言葉「私だって障がい者を産みたかったわけじゃない」でした。
苦しいのは本当に「私だけ」?
ここまで、私目線で思春期(反抗期)の苦しみを書かせていただきました。
こうして自分で書いていて、何とも自己中心的で考えが幼いなと思う反面、よく今まで頑張ったなとも思います。
ありのままの表現で書いているため、若干炎上にビビっておりますが…笑 でもこれが本音です。
では、本当に苦しかったのは私だけだったのでしょうか。 味方は誰もいなかったのでしょうか。
かなり長い記事になってしまったため、その答えは別記事で書かせていただきます。
重い内容にも関わらず、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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